サラリーマン技術者として、長い間会社生活を続けていると、その間の成果やあるいは年功という「実績」のおかげで昇格したり、給料も上がってきたりします。そして、40歳も過ぎると、リーダーや管理職へ登用されることも起こってきます。サラリーマンとしては喜ばしいことでしょう。「これでやっと、一人前の会社員だ」と自覚し、また、家族や恋人にも祝福されるのではないでしょうか。「このままの調子でいけば末は役員か社長か・・」などと夢も膨らむ。

 そんな、出世街道を驀進しているときでも、ふと、考えてしまうことはありませんか?「ん?今やってる管理職の仕事、これって、俺の技術的な経験と関係あるのか?技術者として、スキルアップできたと言えるのか?」、「同期の経理課長と何が違う?」、「技術系の大学で学んだことは約に立ったのか?」・・。ここで大きな疑問にぶつかります。自分がこの会社を去る時、つまり、定年退職するとき、自分は技術者として終わるのか、それとも無色な管理職、として終わるのか?それでいいのか?・・と。

 技術者という職種を単に、会社を構成するひとつの職分としてとらえれば、最終的に技術者と呼ばれようが、管理職と呼ばれようが、あるいは、宴会部長と呼ばれようがどちらでも良いことでしょう。しかし・・、もったいない・・。わたしは、技術者というのは「職人」だと認識しています。科学的根拠に裏付けされた知識と、現実の実現方法をもって理想を実現していく職人。職人だとしたら、その仕事の能力の頂点はいつなのでしょうか?歌舞の世界で日本文化を継承する人たちがその頂点を極めるのはおそらく、生涯の終点をまじかにしたときなのではないでしょうか。それまではひたすら精進を続けていく。もちろん、体力を要する仕事では、ある時期でその実務を引退していかなければならないこともあります。しかし、その場合も、後継者の育成という伝承方法をもって、自己の技術を高めていくのではないでしょうか。

 サラリーマン技術者の多くは、その会社での任務を終えるころに、技術者としての頂点を迎えることができるのでしょうか?わたしがとてもイヤだったことがあります。技術者の先輩として尊敬していた人が、年齢を重ね、偉くなっていくと、「○○みたいな難しいこと俺にははわからん。」とか、「もうこういうことはちっともわからない」などと言う事が。先進的な技術を理解できないことは実際問題あることですが、そこで、年齢や職分を理由に、理解することを放棄してしまうことが、何ともいえずイヤな感じでした。そのかわり、「俺は経営計画の立案に参画してるんだ。」とか「マーケッティングが俺の仕事だ」とか。経営計画やマーケッティングが重要なのは言うまでもありません、しかし、それは、その分野の職人がいるはずです。その方々を、技術的側面から支援することは有効なことでしょう。が、自己の技術的研鑚をあきらめたことの言い訳に、「逃げて」いる、なんてことはないでしょうか?

 生涯勉強、なんて、考えただけでもつらいことですが、そんな技術者を目指したいと思います。たとえそれが、収入を得ることとは無関係になったとしても、いつでも新しいことに興味を抱き、今までの知識や経験を生かして、決して理解、創造することを放棄しないような、「職人」を目指したいと思います。